阿修羅さんがうちにいた

よしのやの歴史

吉野の葛餅(黒蜜・きなこ) 吉野の葛餅(黒蜜・きなこ)

◆江戸時代、吉野で大峰山参拝の宿坊を営み昔から食べ継がれていた本葛粉・葛菓子を手造りし土産品として販売を始めたのが前身です。 第二次世界大戦中の空襲を逃れる為、国宝、阿修羅像、八部衆、十大弟子像十数体を『よしのや』舟知家の蔵でお預かりしていたという歴史があります。 国宝・阿修羅像が戦時中、吉野にある舟知家(よしのや吉野店所在地)の蔵に疎開していました。興福寺の日誌によると、 1945年7月3日当時吉野の町長をしていた舟知家所有の蔵に、乾漆八部衆立像など数十体と共に疎開が行われたそうです吉野駅を降り金奉山寺へ 向かう急傾斜の七曲り坂を戦時中で男手が足りなかったため奈良県刑務所の受刑者たちの手によって運ばれたそうですが、 その七曲り坂を上る度に「ここを阿修羅さんもお通りになられたのか」と、上る足取り一歩一歩が特別に感じます。 阿修羅像がここで、何を想い何を願い、身を潜めていらっしゃったのか・・・吉野山にお越しの際は是非感じてみてください。

        

・仏像疎開 http://www.nara-np.co.jp/

・奈良から吉野山へ http://www.chukei-news.co.jp/

➤よしのやと阿修羅の関係 舟知家インタビュー動画